創業者の想い

ストーリーシェア創業者

【なぜ StoryShare をつくったのか?】

私が27歳のとき、ロンドンの語学学校に留学しました。
驚いたのは、何年もロンドンに住んでいた日本人の多くが、生活はできているのに英語は初中級レベルで止まっていたことです。

  • 語学学校を卒業して数年間住んでいるのに会話力が伸びてない
  • 世界中の友達ができると期待して来たのに、実際は同じ国同士で固まる
  • 物価が高いので初心者には費用対コスパが悪い

同様のことが、イギリス、ニューヨーク、オーストラリアでもありました。
例外的に伸びるのは、すでに日本でしっかり勉強してきた東大生のような一部の人や16歳など10代で留学された人達でした。

欧米の語学学校に行けば
大学附属の語学学校に行けば
大学に入れば、
海外で会社に入れば
海外にいれば、
日本人が1人もいな職場につけば、
フィリピン留学すれば
努力すれば

英語習得ができると思っているが
多くの日本人が英語習得に苦戦していたことを知ったことから始まりました。

【フィリピンで見つけた、本当に伸びる英語教授法】

アメリカで留学していた頃、大金を盗まれてしまいました。
お金が大幅に減ったため、少ない予算で英語を習得しアメリカに戻ってくる必要がありました。その時に学生時代に海外をバックパッカーで旅をした時に途上国の人たちが英会話教室に通っていたのを思い出しました。

「途上国の若者が通える英会話教室は安いはずだ」と世界中を調べていちばんコストパフォーマンスよいフィリピンを発見しました。
まだ日本人経営の語学学校は当然存在せず、フィリピン人が英語を話すことすら知らなかった時代です。

現地でいくつもの学校を回り、生徒として体験してわかったのは、

・大規模校は先生を数で揃えるのが精一杯で、一人ひとりの指導はしていない
・本当に優秀な先生ほどフリーランスになり、口コミで個人レッスンをしている ・多くの学校のオリジナル教材含め、体系的な教授法がない
(優秀なフリーランスの先生達も含め)

という現実でした。

【スラムに住んだことが、学校づくりのきっかけに】

私が生徒としてアメリカ人の英語講師と勉強していた時、そのアメリカ人が引っ越したから遊びに来ないかと招待を受けました。

彼の家はスラムにある当時家賃5千円のアパートの1室でした。
彼の部屋は2階で、3階の部屋が空いていました。(一階につき1部屋3階建てのうち2階と3階が部屋として貸し出し)

私は当時、韓国人経営のボーディングハウスに滞在していたのですが、シャワーの水が錆びて茶色だったこと、毎日激辛韓国料理で胃炎になり、食べられなくなったことから引っ越しを考えていました。

治安の悪いスラムに住むことは怖かったのですが、フィリピンのローカル文化も経験でき、アメリカ人と住めて英語上達に良いと思い決めました。

【スラムでのレズビアン夫婦と3歳の少女との出会い】

スラムには私が毎日3食食べる小さな食堂がありました。
その食堂のオーナーが私が日本人でお金があるからお金をくれと言ってきました。「強いものが弱いものを助ける」それがフィリピン文化だからだと。

私はスラムに住む人々が仕事をせず(仕事は得ようと思えば得られるのに)、
昼間からお酒を飲み、ビンゴをして楽しそうに遊んでいるのを見ていたので、
日本人は共働きで土日もなく家庭崩壊するほど仕事ばかりをしているからお金があることを伝え断っていました。

ところがレズビアン夫婦であるはずなのに3歳の娘がいて、大学に送るために奨学金を得ようとして愛情たっぷりに可愛がっていました。

どうしてレズビアン夫婦なのに子どもがいるのか聞くと、養子だという。
親がいないから養子にしたと聞いて、「強いものが弱いものを助ける」という
言葉は本当なんだと胸を打ちました。

「釣った魚ではなく、釣り方を教えれば一生」という格言を思い出し、
彼女達やスラムの人達に日本語を無料で教えることにした。
将来日系企業で働くこともできる。

教え始めると体系的なプログラムがいることに気づいた。
その時フィリピンで英語講師をしているアメリカ人やフィリピン人富裕層から
ベルリッツという語学学校の話を思い出した。

ベルリッツは日本を含め世界中にある語学学校(英会話教室)で

  • 授業メソッドが効果的で先生として教え方の良さがわかるという証言
  • 授業メソッドが効果的だから先生も多言語を学ぶときはベルリッツで学ぶ
  • 授業料は業界で最も高いが、コスパにシビアな企業研修が多く7割口コミ

という情報が思い出され、ベルリッツの講師になれば日本語を教えるのに役に立つと思いベルリッツの講師になりました。

【教授法に衝撃!他の語学学校がプロでないと思えた】

その後、ベルリッツの教授法に触れたことで、
「教え方の設計次第で、伸び方はここまで変わるのか」
という衝撃を受けました。

世界中の語学学校を生徒として、受験英語を教える予備校での仕事を経験してきましたが、ベルリッツだけは明らかに別格でした。
東京、ロンドン、ニューヨーク、で口コミの良い語学学校に行きました。
すでに英語がネイティブ級になっている友達がいたので、いただいたアドバイスは全て実行しました。

私がとった行いは

  • 外国人に話しかけ、友達を作りとにかく話す、話す、話す
  • 道端、電車、駅、マーケット、カフェ問わずしょっちゅう声をかけました。時に声をかけて友達になった1人は私が一緒に住んでいたイタリア人の友達だった偶然もあったほど毎日声をかける
  • 英語学校は口コミで選び、授業も録音、聞き直しながら喋る練習
  • 学校の教材の音源を繰り返しシャドーイング
  • 友達と学校の教材を使って話す練習を公園で行う
  • 英語のテレビを見る
  • 語学エクスチェンジパートナーを数人作る
  • 外国人と住む(英語ができてすでに移住済みのフランス人、イタリア人と)
  • 外国人と一緒に買い物、料理、食べる、遊びも行う
  • 日本にいる友達や恋人とも一切日本語使わず英語でやりとり
  • 食事中は英語の音源をきく
  • 移動する時も音源聴いてシャドーイング
  • 寝てる時も英語をきく
  • ネイティブとの会話を録画しディクテーション。聞き取れないところはネイティブに聞き、聞き取れない音を丁寧に克服。
  • アメリカ人英語講師太鼓判の英文法の本(日本語の英文法の本は初級者以外お勧めしません)を眠くならないように写経。3回は書く。

などなど、1日15時間以上勉強しました。
それでも成長を感じず落ち込み、他の人は英語が上級レベルになったが、自分には無理かもしれないという不安もありました。

それが、ベルリッツの教え方を知った時に、こんな教え方があったのか!!この勉強方法でやってたなら自分は今頃ペラペラになってたじゃないか!!と衝撃が走ったのです。

そして「ロンドン、ニューヨーク、東京、フィリピン」と色々な語学学校と色々な先生と勉強してきたが誰もこんな教え方はしてなかった、今思えばなんと素人的な授業だったのだろう」と思いました。それほどショックだったのです。英語習得できないのではないかという不安の暗闇に、トンネルのように出口の光が見えたのです。

ベルリッツの教え方は簡単にいうと

  • レベルに合わせた徹底した会話中心のメソッド(読み書きではない)
  • 子どもが言語を自然に習得するプロセス
  • 文法説明抜きで生徒がスムーズに理解する理想的な直説法
  • 自己学習を一切しなくても授業さへ取り続ければ、年齢や能力に関係なく誰でも確実にペラペラになる

従来の語学学校は

  • 先生の話す時間の方が長く、生徒は聞かれたことに答えるのみ
  • 英語で英語を教える間違った直説法のため、自己学習がないと非効率
  • 受験英語と同じく詰め込み座学式(読み書き)
  • 授業が会話だけの場当たり的で体系的でないため継続しても上達しない
  • 授業だけでは伸びない

ただ、理想的な教授法のベルリッツですが、駐在妻の方達で、ベルリッツに1年通って教科書はどんどん進んでいくが、英語レベルの上達はしていないと伸び悩まれている人達がいるのも現場で知った。それは教え方が悪いのではなく、単純に週に1日80分間だけという学習時間が足りないのが主な原因です。
繰り返しの数や時間が少ないと忘れてしまいます。
どんなに優れた教授法も魔法ではないので一回授業を受ければ2度と忘れず話せるようになっていくということはありません。


私はもっと伸びるためのアイデアがあったので試したく、スラムにインターネット回線を引いて(スラムですがネット回線引けました)オンラインで日本にいる日本人に私なりに教えてみました。

結果がとてもよく、生徒様から口コミで紹介が増えました。
オンラインスクールを立ち上げようとオフィスになる家を借りると同時に
フィリピンで最も優秀な大学であるフィリピン大学の学生を雇い研修を始めました。当時はマンツーマンのオンライン英会話スクールはまだなかったので、英語を話したい日本人を救うと考えすぐに動きました。

【韓国系語学学校から転校してきた日本人の英語が一気に伸び、ネットに書き込みしてくれて大反響となった】

フィリピンの韓国系語学学校で数ヶ月留学していた日本人生徒さん達が
転校してきて、英語が一気に上達したことがネットで話題になり、日本からフィリピンに来たい!という問い合わせが急増しました。

それもそのはずです。
最高のメソッドを週に80分間だけでなく、韓国系語学学校のように1日8時間〜10時間も授業を何週間も何ヶ月も続ければどんな人でも絶対に英語が伸びます。

オンラインスクールのために借りた家でしたが、あっという間に生徒が集まり、語学学校を起業することになりました。

そこで、優秀なフリーランスで活躍していた講師たちを数人雇いました。すると、彼らの間で口コミが広がり、さらに優秀な講師が集まってきて、やがて自分の理想とするチームができあがりました。これが私が語学学校を作った経緯であり、理由です。

【学校名に込めた想い】

最初は自分のニックネームを取って Mio’s Boarding House という小さな英語学校から始まりました。
それからボーディングハウスはすぐに満室、5軒と短期間で拡大したため、大きな建物一棟に集約することになりました。その際、スラムの食堂で出会った女の子がきっかけになったので、女の子の名前をとって Eden Miles(エデンマイルス) となりました。

さらに2年後、マニラの田舎から中心地に移転をすることになり、人生や夢は「人と人との出会い」で変化していくことから、ストーリーシェア StoryShare と新たに改名しました。

私自身も「英語を話せるようになりたい。世界へ挑戦したい」という夢を追っていた立場から、
「人の夢を応援する側」に自然と立場が変わっていった過程そのものが、
StoryShare という名前に込められています。

【StoryShare が大切にしていること】

1 確実に伸びるメソッド
・今では国立教育大学の英語教育の教授にも認められた教授法
・授業を受けるだけでも誰でも確実に英語が上達していくCLメソッド
・授業同士がリンクし、復習と定着を繰り返すリンクシステム

2 先生の質とトレーニング
・どの先生でもCLメソッドで個人の能力差を埋める
・資格の有無ではなく「教え方がうまいかどうか」にこだわる

3 英語漬けと安心感の両立
・本当に機能するイングリッシュオンリーポリシー
・日本語も使えるコースとの選択制で、初級者の不安を軽減
・校内だけで完結しない、学校の外のネイティブとの友達を作れる設定
・留学後のワーホリや欧米での外国人コミュニティーへ入る講座&サポート
・欧米での仕事の取り方講座&サポート

【StoryShare が歩んできた進化のステップ】

StoryShare の歴史は、
常に「日本人が本当に伸びるには何が必要か」を追い続けてきた歴史でもあります。

・マンツーマンレッスンのメソッド改善の時代
・日本語禁止のイングリッシュオンリーポリシーに挑戦した時代
・異なる種類の授業をリンクさせて、習熟度を高めた時代
・フィリピン英語は聞こえるのに、映画やドラマが聞き取れない問題を解決した時代
・学校の外で外国人の友達を作り、楽しく英語を伸ばす仕組みを作った時代
・日本人でも安心して知らない外国人に話しかけられる環境を整えた時代
・オーストラリアで語学学校に入るより、現地の友達ができるサポートを作った時代
・欧米で語学学校に入るより、現地の友達ができるサポートを作った時代

語学学校という枠の中だけではなく、
「その人の人生全体にとって意味のある留学とは何か」
を追いかけてきた結果が、今の StoryShare です。

【これから留学を考えている方へ】

英語の勉強は、一生続けるものではなく、
できるだけ早く終わらせて、次のステージに進むためのものだと思っています。

そのために必要なのは、

・運任せのクラスではなく、確実に積み上がるメソッド
・相性だけで終わらない、プロの指導
・学校の中と外がつながった、リアルな英語環境

StoryShare は、
あなたの英語学習を「いつか話せたらいいな」から
英語上達を成し遂げ、次のステージまで一気に引き上げるための学校です。

もし、過去の留学や勉強で伸び悩んだ経験があるなら、
その理由と、そこから抜け出す方法を、ここで必ず体感してもらえるように設計しています。

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ABOUTこの記事をかいた人

大学卒業後、予備校で5年間勤務。人気指導員として最年少課長に昇進。 その後俳優を目指しながらイギリス、アメリカ留学の経験を経て、フィリピン留学に辿り着く。 ベルリッツでのカリスマ日本語ネイティブ講師として活躍後、さらに質の高い語学メソッドを構築し、現在のサイクルラーニングメソッド、リンキングシステムを開発。学校成長と共に、ソーシャルエンタープライズに近い形で社会貢献の志と個人の夢、生きる幸せをバランスよく保てるライフスタイルを実践、提供できるようになりたいと願う。 41歳からバイオリンもはじめました。  資格:乗馬障害2級  エコビレッジデザインコース